長沼町の歴史
昭和31年〜昭和40年(1956年〜1965年)
  
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昭和31年(1956年)
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冷害凶作、5割以上の減収(水稲生産5万6,022石)被害農家1,251戸を数え各地から救援物資続々とおくられる。又6月と8月に大雨による水害発生し 大正2年以来の凶作といわれる。
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長沼小学校屋体、町立病院暖房施設工事、南中4教室(鉄筋コンクリート2階建)完成する。
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農村公衆電話、西長沼、舞鶴、幌内各農協支所、西南小、第二小に設置される。(本道で初めて)
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学校通知箋の様式変わる。(5段階に表現する)
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冷害対策の為長沼小学校2校の給食費及び学用品の現品支給を行う。
昭和32年(1957年)
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新農村建設事業として農協有線放送設備はじまる。(本年6部落460戸)
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町立長沼高等学校設立認可される。(校舎建築昭和33年より3ヵ年)
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永久構造による第三小屋体完成する。
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千歳川橋架替工事はじまる。(総工費5千万円2ヵ年計画)
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第五小学校50周年記念式(9月)、中央小学校60周年記念式(11月)、長沼土地改良区50周年記念式、中中、北中、南中10周年記念式(11月)を挙行する。
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長都地区(第18区)に12戸入植する。
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町道長沼−夕張線(千歳川橋から道道千歳由仁線まで)及び舞鶴−追分線(舞鶴橋から国境橋)道道に昇格される。
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舞鶴、西南、南中の3校が学校給食校に指定される。(費用国費5割、道及び町費5分ずつ、期間12月−3月まで)
昭和33年(1958年)
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市街地8ヵ区の呼び名が変更される。(例市街地5区が中央区に改称)本通りの舗装工事はじまる。
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全日制町立長沼高校が開校する。
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農協有線放送設備(18部落1,200戸)される。
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町立高等学校発足普通課程2学級、初代校長岩本元一就任、仮校舎として旧札幌開発建設部車庫及び事務所改造して開校、この年から東4線北13番地に土地1万8,431坪を購入し、4ヵ年計画で新校舎建設に着手、今年第一期工事250坪が完成する。
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千歳川橋完成(工費4,750万円11月16日)する。
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運河橋−東町間(市街地本通り1,090メートル)の舗装工事行われ町の姿一新する。
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西長沼小、第四小両校の屋体建築施工する。
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国保病院増築落成式を行う。(旧病院に比し面目一新す)(7月9日)
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長都A地区開拓地に電灯がつく。
昭和34年(1959年)
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町長選挙3人出馬し激戦、現町長安達忍、昭和22年以来2期、3期無競争、今回4選を果して当選、又町議数26人に復する。
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長沼農協ビル新築、完成、国土調査3ヵ年及び土壌調査5か年終了する。
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役場機構改正4課とする。(社会課新設)4月。
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母子健康センター新築開所する。(8月13日)
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北長沼診療所設置する。(9月)
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高等学校第二期工事完成する。
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長沼農協ビル新築・完成し役場前旧事務所から移転する。
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公民館、中央区元高等学校を改装して開館する。
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馬追橋架替完成する。
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道路舗装工事、運河橋から西方基線まで完成し運河通りも8メートルに拡幅して札幌方面への舗装工事進む。
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夕張鉄道双葉駅設置される。
昭和35年(1960年)
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長沼町立高等学校校舎をはじめ施設4ヵ年計画を1年繰上げて完成する。
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小児マヒ大流行全町恐怖に襲われる。
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政府売渡米33万俵をこえるも畑作は干害のため不振となる。
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札夕線道路舗装工事、零号から千歳川橋間及び由仁苗圃まで工事施施行される。
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南長沼診療所開設する。
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第五小学校屋体完成する。
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西南小学校屋体完成する。(へき地集合所を兼ねる)
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小児マヒ発生し8月1日現在で30人被患し死亡5人を出し、全町的に消毒を行うなど一時恐怖状態におちいる。
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長沼高等学校完工式行う。(12月1日)
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農林省北海道食糧事務所長沼出張所北長沼駐在所が出張所に昇格、舞鶴地区にも駐在所がおかれる。
昭和36年(1961年)
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「7月集中豪雨」の為30年来の大洪水起り災害救助法の適用をうける。(昭和11年に夕張川切替後防除されて来た本町の水害は千歳川逆水(戦後水害型)によって再び水害が発生し始めた)
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道道札夕線長沼−由仁舗装完成する。
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中央中学校工作室及び教室と中央小学校屋内体育館完成する。
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北長沼農協ビル完成する。
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国鉄バス営業所完成する。
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3月長沼高等学校を道に移管する。
水害関係
7月24日夜から降雨、25日夕張川二股ダム放水開始、26日にかけて雨量200ミリに達し千歳川逆流し本町西南部一帯が洪水に見舞われた、28日「災害救助法」発令、主なる被害、農作物水稲2,651ヘクタール、畑873ヘクタール、建物床上浸水1,269棟(内住宅315戸)床下浸水1,073棟(内住宅486戸)、長沼頭首工決壊をはじめ、道路、橋梁の決壊、流失26ヵ所、開発局関係施設20ヵ所、避難者74世帯247人(中小校及び21区会館)
昭和37年(1962年)
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8、9、10号台風により昨年を上回る大水害に見舞われ、本町周辺は北海道の水害常襲地として認識され洪水対策緊急地帯となる。
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開基75年記念事業として役場庁舎改築に着工し、「長沼町の歴史」発刊する。
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2年連続の大水害に開発庁及び建設省、農林省の政府機関漸く関心を高め、特に農林省は機械排水を強く提言するに至り内水処理の施策立案にむかう。
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主なる農業被害、田の冠水3,332ヘクタール、住宅1,232戸、避難者179世帯744人。
各学校現況
校 名   学級数   生徒数   教員数
中央小校   20     996人    24人
長沼小校    9     300人    11人
第一小校    4     134人     5人
第二小校    3     101人     4人
第三小校    8     274人    10人
第四小校    6     189人     8人
第五小校    2      59人     3人
舞鶴小校    6     272人     8人
西長小校    9     304人    11人
西南小校    4     133人     5人
北 中校    8     314人    12人
南 中校   10     443人    14人
中央中校   17     825人    24人
長沼高校    9     441人    21人
各学校現況
みこころ幼稚園       66人(36年開園)
昭和38年(1963年)
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役場庁舎改築落成、合同庁舎として偉容、機能ともに面目一新する。
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北海道中央農業試験場が本町移転を決定する。
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町は、昭和37年の水害及び干ばつによる被害農家に「天災資金の融通に伴う利子補給及び損失補償に関する予算外義務負担」を決定する。
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大夕張ダム、川端ダム、長沼頭首工、川端発電所の竣工式が挙行される。(6月20日)
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水沢市から初めて文化使節団来町、「郷土芸能念仏剣舞」を披露した。(7月2日)
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長沼町水防団条例制定され、消防団員を中心とした水防団組織する。(350人)
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役場の機構を改革する。(5課2室となる。議会の常任委員も改正)
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各部落から上水道の延長請願が出され、市街周辺農家に給水工事延長する。(全町上水道の計画はじまる。)
昭和39年(1964年)
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稲作に黄化萎縮病まんえんしさらに水害低温、日照不足、霜害と、農作物全般に被害をうけ、かつ連年の水害によって農家経済益々窮乏におちいる。(12月20日雪の中でハサおろしを行う、女子の本州紡績工場など農民の出稼者多し、大幅な災害減免にかかわらず町税の滞納多し)
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他候補地と競合の末道立中央農業試験場長沼町へ移転はじまる。
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長沼郵便局本町区運河沿に移転新築する。(10月20日)
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馬追山ろく一帯の畑作経営不振のため溜池による造田が増加する。(37戸)
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町役場庁舎落成式(9月22日)なお移庁式は昨年9月28日行う。
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中央小学校に学校水泳プールを建設する。
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国鉄バス24区遠軽地区に運行開始される。
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異常低温で警戒警報出る。(8月20日)
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北海道中央農業試験場の北長沼移転が本決まりとなり、栗山町、長沼市街地、北長沼の各地で住宅誘致の運動が高まる。(10月)
昭和40年(1965年)
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9月上旬の集中豪雨と23号、24号の台風による水害が発生し、昨年の冷害と合わせ連年の被害に苦しむ、一方、馬追運河などの排水機場工事著しく進歩する。
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北海道中央農業試験場移転完了、給食センター給食を開始する。
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全町水道計画発足、議会に全町水道施設特別委員会を設置する。
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町花を「白ライラック」とする。
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学校給食センター完成(11月23日)
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長沼の農村有線放送が市外通話につながる。
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町内13戸の無電燈農家改称される。
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国営第一揚水場(排水兼用)完成(工費1億円、能力900ヘクタールの用水と、毎秒5トンの排水可能。4月21日試運転を行う。
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9月6日、7日集中豪雨、同月11、12日23号台風、同15日〜18日低気圧降雨と24号台風により水田冠水2千ヘクタール、災害救助法適用。
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国営馬追運河排水機場着工される。
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農業構造改善事業3ヵ年計画発足する。(山根地区、共栄地区)
  
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