長沼町の歴史
昭和41年〜昭和50年(1966年〜1975年)
  
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昭和41年(1966年)
小史
連年水害続き本年も8月集中豪雨により被害甚大、加えて冷害に見舞われる。治水対策に町は全力をあげ、各排水機場工事進歩する。
広域行政としてし尿処理、上水道工事などはじまる。
1966.8.8 吉川鉄之助胸像再鋳除幕式、水沢市から代表及び北下幅神楽来町、従来の石碑は東4、北17に移設する。(昭和50年旧長沼小学校校庭に移転)
1966.8.20 16日からの8月集中豪雨により災害救助法適用される浸冠水8,357ヘクタール、浸水1,012戸農業被害のみ6億6千万円を越す。(災害融資額天災資金3億1,745万円、農地取得資金1億2,095万円、自創資金1億1,924万円)
1966.10.25 道立中央農業試験場庁舎完成する。
南6号建設省関係排水施設、機場、桶門、ポンプ2基中1基完成。
南9号川建設省排水施設、機場及び桶門着工される。
馬追運河内水排除施設、桶門、機場、ポンプ、2基完成する。(15トン)
学校給食センターは、未実施5校に給食を開始、これで全校給食となる。
昭和42年(1967年)
小史
産米、60万俵を越し本町史上最高の豊作年となり、開基80周年式典及び全道青年大会盛会に行われる。
小史
長幌上水道組合給水を開始する。
小史
新たに町章を決定する。(応募164点、当選27区吉田清作)
小史
馬追運河排水機場ポンプ1基及び南6号排水機場完成する。
1967.3.9 国保病院精神科病棟完成する。
1967.9.12 開基80周年記念式典を中央小校体育館で挙行、佐藤水沢市長来町(各種功労者153人)する。
1967.09.- 札幌法務局長長沼出張所庁舎を改築する。
1967.12.6 長沼町産米出荷55万俵突破祝賀会を開く。
昭和43年(1968年)
小史
防衛庁が地対空ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」部隊一個中隊を馬追山に廃部することを発表、水源涵養保安林解除をめぐって賛否両論この年より以後長期にわたって賛成反対運動続く。
1968.01.- 長幌上水道両町全域に給水を開始する。(第三期工事完成)
1968.02.- 長沼町は中学校1校、小学校3校統合案を発表する。
1968.04.- 町政方針の柱に「田園都市長沼」を宣揚する。
1968.5.16 十勝沖地震で木詰地区地割被害甚大となる。(流木堆積の古川跡のため)
1968.5.31 防衛庁は、長沼町馬追山にミサイル「ナイキ」配置発表する。6・4反対共斗会議結成、6・8長沼中央小学校校庭で「ミサイル基地阻止全道集会」開かれる。6・10町議会緊急議員協議会開かれ17議員町長の条件付受入に賛成し、馬追山水源涵養保安林解除に同意する。6・14町議会ミサイル反対の請願を不採択、以後賛成・反対の料派激烈な斗争に入る。
1968.8.13 長沼町体育館完成する。(公民館兼用)
1968.11.1 北長沼市街地に本町初の保育所が完成し、運営を開始する。
1968.11.8 市街地運河橋のそばに信号機つく。(変則交差で12の信号)
1968.11.- 道道栗恵線、長沼市街地−栗山舗装完成する。
南6号川、南9号川の建設省排水機場完成し、西長沼排水機場が着工される。
長幌上水道一部事務組合は公営企業法によって執行体制を長幌上水道企業団と改称する。
国民健康保険事業は直診病院が独立して町立長沼病院となる。
昭和44年(1969年)
小史
北長沼小学校開校する。(長小、第一小、第二小統合)
小史
馬追運河機場など治水対策の内水排除施設ほとんど完成する。
小史
昭和21年度から開始された国営開墾の入植事業完了する。
小史
馬追山ろく南部に札幌市内から牧場移転相つぐ。
1969.02.- 豪雪、災害対策本部を設置する。
1969.06.- 町議会、広報発行委員会をつくり8月号から発刊する。
1969.7.27 第二小学校閉校式、同30日第一小閉校式を行う。(回想の碑建立)8月2日長沼小閉校式(追憶の碑建立)、第二小は(星霜の碑建立)
1969.08.- ナイキ基地代替工事はじまる。
1969.8.28 北長沼小学校開校式行う。(児童305人)
1969.9.1 自主流通米販売はじまる。
1969.10.28 北海道銀行を町の指定金融機関として決定する。
1969.12.14 青少年会館落成式を行う。(工費1,830万円)
1969.12.- 運河新橋完成する。
昭和45年(1970年)
小史
米の生産調整のため減反政策行われ農民の生活環境及び農業をめぐる情勢は大きく転換する。
小史
ナイキ基地代替工事進み保安林伐採される。
1970.02.- 農林省統計事務所長沼出張所が廃止され栗山町に統合される。
1970.3.2 町の指定金融機関北海道銀行が役場に窓口を開設する。
1970.04.- 町役場構内周辺に柵を設ける。
1970.4.1 南空知公衆衛生組合がゴミの収集を始め、馬追清掃センターが焼却事業を開始する。
1970.6.26 電話のダイヤル自動化はじまる。(大正11年7月小型交換機1台で開始、改式時交換機7台、加入電話470台、市外回線20回線、交換手18名)
長沼農協有線放送施設全面閉鎖、農村集団児童電話開通する。
1970.09.- 学校給食センター米飯給食はじまる。(2,800人)
治水事業の繰り上げ施工により、25基、82.5トンの排水機場完成する。
昭和46年(1971年)
小史
防衛施設周辺整備事業や、防音工事盛んにはじまり、ミサイル部隊移駐する。
小史
夏季低温により昭和31年以来の凶作となる。
小史
過疎指定町村となる。
1971.3.10 長沼町開拓農業協同組合臨時総会(負債整理案)を開く、この後開協は解散し、組合員102名は長沼農協組合員となる。
1971.04.- 国鉄バスの夏期路線の一部廃止、夕張鉄道の客車便廃止など、過疎による交通機関の縮小相つぐ。
1971.4.30 本町が過疎指定町村となる。
1971.09.- 空知地方の稲作、昭和31年以来の大冷害となる。(作況予想68%)
1971.9.27 農業振興地域に指定される。
1971.11.3 青少年科学館を元上水道高架水槽に開館する。(プラネタリューム)
1971.12.- 航空自衛隊第三高射群第11高射隊200人が馬追台に移駐する。
昭和47年(1972年)
小史
天候に恵まれ開町以来の最高反収523キロをあげる。
小史
酪農地帯、富士戸ダム周辺コミュニティセンター、文学台、リンゴ園など馬追丘陵一帯が観光的様相を呈するようになる。
小史
農村工業導入や、あかね住宅団地などを造成し、過疎化対策事業増加する。
小史
南空知消防組合設立する。
1972.4.30 長沼町銀座区から出火10戸を全焼する。
1972.5.11 辻村もと子の文学碑立柱式を行う。
1972.06.- あかね団地85区画の造成を行う。
1972.7.10 自治省は広域市町村圏として南空知(夕張市・岩見沢市・美唄市・三笠市・北村・栗沢町・南幌町・由仁町・長沼町・栗山町・月形町)を指定する。
1972.12.- 馬追コミュニティセンター開設する。(48・1・17オープン)
今年度農村工業団地に指定される。本年21ヘクタール(昭和51年10ヘクタール追加)の工場用地造成し、ドリゾール工業など建材メーカ関係の進出はじまる。
ほ場整備双葉地区を本年度着工する。
昭和48年(1973年)
小史
開基第一鍬者吉川鉄之助の生地水沢市と姉妹都市締結し、交流盛んとなる。
1973.03.- 昭和46年6月に制定された「農村地域工業導入促進法」による道の指定第一号として昨年12月地域指定をうける。「長沼工業団地」が「実施地区」に定まる。
1973.3.24 長沼町議会、水沢市と姉妹都市縁組みを決議する。(水沢市も同日決議)
1973.5.9 高橋忠八水沢市長等一行来町し、体育館において姉妹都市締結調印式を行う。
1973.10.- 本年作況は昨年につぐ豊作となり作況指数も118となる。
「北緯43度線国際親善計画」に基づき、アメリカの各都市に呼びかけを行いミシガン州のオウオツソ市など3市から友好に応じる親書と物品が贈られてくる。
長沼町総合振興計画基本構想定まる。
昭和49年(1974年)
小史
基地周辺整備事業や、防音対策による道路、民生、福祉の公共的施設の充実と、市街地商店の近代化や、導入工場の操業開始、住宅団地の造成による市外地区の変容が目立った。
1974.3.31 夕張鉄道の旅客輸送45年間の幕を閉じ栗山−野幌間22キロ廃止、4月1日から代行バスを運行する。
1974.03.- 中央中学校校舎改築完成する。
1974.04.- 中央長沼保育所完成する。
1974.08.- 町議会議員協議会、北大農場移転申し入れに対し応諾協力の意向示す。
広域営農団地農道整備事業第一期地区はじまる。(延長25,140メートル 総事業費14億7,000万円)
稲作史上第二の豊作となる。(反収平均492キロ)
昭和50年(1975年)
小史
町立病院及び母子センター完成、迎光園増築(51年1月完成)南・北各会館開設、その他各保育所運営整備され、その他町内全般にわたり医療及び福祉施設整う。
1975.01.- 大雨のたびに滞留する山根地帯の水害除去のため、開発庁は、馬追運河改修調査に1,500万円の予算を決定する。
1975.3.21 西南小学校閉校式を行う。(開校昭和26年在校生31人)
1975.3.31 夕張鉄道は、昨年4月から旅客輸送廃止に引き続き今日で貨物輸送も廃止する。
1975.4.8 第三小学校、西南小学校が統合し南長沼小学校開校式を行う。
1975.12.23 長沼町立病院完成、本日引越しする。(経費6億1,600万円、鉄筋4階建、4,150平方メートル、道内町村第2位の規模ベッド136床、同母子健康センターも完成)
第12区東重次郎が昨年寄付した屋敷庭園を町が整備して広く開放する。
  
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